×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

アビーカとの2年間
(平成24年度卒業生 鈴木優駒の父)

今日は平成25年の3月31日。息子のアビーカでの最後の練習が終わった、その4日後に書いています。ゆうまがアビーカに入った2年間、本当に楽しい時でした。もうじき中学に入学となりますが今回、この2年間のアビーカでのその思いを書き留めておこうと思いたち、筆をとりました。

息子がサッカーのスポ少に入るという事はまったく思いも立ちませんでした。いきなりですがここで私の生い立ちなどの事をお話させていただきます。私自身は子供の時からずっと野球少年でした。実家のあった所が県内の大江町という所で、とにかく米沢以上に自然の豊富な街。今は柳川温泉が有名になった街ですが、楯山公園から眺める最上川をまたいだ眼鏡橋のその風景などは、今だによくいろんなところで紹介されています。私はその家の近くで流れる川での水遊びが好きで、よく魚突きなどにも友達を誘って行っていました。

その中、私に野球を教えたのが私の兄でした。私自身は6人兄弟の末っ子、4男として育ったのですが、その歳の離れた3男の兄が毎日のように野球の相手をしてくれました。私が小学校から帰るのを待っているかのように、夕方になれば2人でバットとグローブを持ち、広場でキャッチボールや、2人野球をやったりしました。ピッチャーの時は早い玉を投げ、そしてバッターでは遠くにかっとばせば褒められた。そしてそれとは逆に厳しい事をさせられ、言われたりした。なぜに兄はあれだけの事をさせようとしたのかは今だに分からないのだけれど、兄とすれば当時、王選手の756号ホームランなどがあり、今以上に大々的に一般の家庭で野球というものが浸透、放映されていたそんな時代だから、将来は野球選手にでもできたらなどという単純な思いもあったのかもしれません。

その厳しさに嫌になり、グローブを地面にたたきつけて「もう野球なんかやんねは!」と兄弟ケンカをするなどしょっちゅうでした。しかし野球の楽しさはやはり身についていたようで、中学に入学もさほど考えず野球部に入部を決めました。私の時代が特に全盛期だった野球というもののその部に入った子は、軽く20人を超えたりしていました。しかし学校の先生からは「お前は体が小さくて続かないからやめとけ」と入部を止められたりしたり。そんな先生の言葉に「なにくそ!」と思ったのもあったでしょうが、頑張って何が何でも野球をやり続けようと思いました。しかし入ったらやはり大変で、毎日の持久走の体力作りがあり、「心臓破りの坂」などと言われる激坂は毎日登らされ、家についた時は床に倒れこむ日が続きました。

その野球と合わせて夢中になっていたもの、それはまったく別な分野の「将棋」というものでした。小学5年生の時に小学校の必修クラブに何か入らないといけないという時、当時仲のよかった友達から駒の動かし方もまったく分からないのに、無理やり入れられさせたのがそのきっかけでした。しかし何か興味をひかれるものがあったのでしょう。夜などは毎日のように父に将棋の相手をしてもらったりしていました。

将棋のやり方をまったく分からないでクラブに入ったのが5年生の時。しかし夢中になったそれも6年生の時は小学校の中で1番強くなり、中学1年で山形県中学生将棋選抜大会という、中学最高の大会で5位。中学2年で2位。中学3年で優勝。高校1年の時は全国高校選手権大会で3位。20歳の時には東北で1番のタイトルの「東北名人」を獲得と、ミルミル腕をあげていきました。

その野球と将棋を頑張っていた中学時代。野球ではなかなかレギュラーにはなれませんでした。20数人いる中で9人の中に入るという事の大変さもそうながら、そのメンバーがすごい子達ばかりだったのでした。高校生並の体を持ち、ホームランを打つのもめずらしくないという子も複数人いて。自分はポジションはライト、打順は2番だったり、8番だったりしました。中学3年のメインとなる学年の時にベンチに入れる16人の中には選ばれ、背番号はもらえましたが、しかし大会に選手として出させてもらえる事はあまりありませんでした。毎試合出させてもらったそれは「3塁のランナーコーチャー」というもの。それは例えばランナーが2塁にいて、レフト前にヒットを打った。その時2塁ランナーをホームに突っ込ませるか、3塁に止めさせるかなどを、コーチャースボックスの中で手を回してランナーに指示してやるというものです。なぜ監督がそれに私を選んだかと考えれば、それは私自身「将棋」をやっていて相当な腕があると監督の耳にも入っていたでしょうから、その「人を指示する(駒をあやつる)」事に、この子は長けていると思ってもらえたのかもしれません。まあ、今となれば思う事ですが。

中学の3年間野球をやりとげ、学生時代本当に野球を頑張ったというのはこの年代までなのですが、数十年立ち、自分の生まれた息子に野球をさせたいと思ったのは当然の流れだったでしょう。幼稚園年長の時に1番軽いバットを買ってやり、小学校に入れば市内中田にある「米沢甲子園」に相当通ったりしました。そのバッティングセンターには何万円お金を使ったか分かりません(^_^;)

小学校の低学年になれば野球のスポ少に入れさせるという事もあったのでしょうが、当時はなんとなくそんな気持ちも家の者、子供本人も持っていなくて、まあたまに野球のキャッチボールなどをして満足していた、そんな感じでした。

息子が野球の他にやっていた事は、今でも続けている「そろばん」と「将棋」でした。そろばんはアビーカで言えば、同じ学年のれんと同じ塾になります。将棋の方は、実は私は市内金池の方で子供達と女性の方相手の将棋教室を月2回ほどやっていて、やり始めて5年半になるのですが、それに息子の時間がつけば今も半ば無理やりですが(^_^;)連れていったりしていて。アビーカで言えばその将棋教室には息子と同じクラスであるけいすけ、そして4年生の時に関東に引っ越してしまった免田君が来てくれていました。

ちょっとだけ将棋の話を。将棋というものは単なる「ゲーム」というだけなら、自分が教室を開いてまで教えたいとは思いません。将棋とは「子供達の成長にとっていいものを多く持っている」この考えが自分にはあります。「将棋の良さとはなんですか?」と聞かれれば、それには「自分から『負けました』を言う事です」と答えます。これはどういう事かと言えば、例えばサッカーや野球というものは審判がいて、そして何より点数での差が一目瞭然で勝敗が決まります。日本の伝統文化と言われます「相撲(国技)」や「柔道」「空手」なども審判がいて最後、「こちらが勝ち」と示してくれます。こうしたあらゆるスポーツ、ゲームの中で「負けた方が宣言して勝敗がつく」といのは、実は将棋というものだけです。勝負というものは負けた事自体で悔しいのだけれど、将棋はなおさら「負けた方がそれを宣言しなくてはならない」この事がその悔しさを倍増させたりします。しかし「切れる子供」「我慢できない子供」が問題視される今の世の中で、この「負けました」を言うという事は「自分の負けを認める勇気」であり「次を頑張ろうとする元気」だったりする。今の世の中は大人でさえ「すいません」「間違えました」これが言えない人が多い。だから将棋を通し「負けました」をキチンと言える子供はすばらしいという事、この事が将棋を一生懸命教えている根本にあったりしています。

話を元に戻しまして(^_^;)。小学4年生の冬でした。突然、私の部屋に入ってきた息子。モジモジしながら私に言ってきました。「・・・お父さん、僕・・・サッカーうまくなりたいんだ・・・スポ少入りたいんだ!」。・・驚きました。驚いた点は2点。「スポ少に入りたい」という事と「野球ではなくサッカー」をやりたいと言ってきた事(^_^;)。野球をあれだけしながらなぜにサッカーなのかと言えば、それは息子の通っている南原の学童という所、これが田舎ゆえなのか相当子供達がいるうえでめぐまれた所で、サッカーをやれる多少広い空き地、そしてゴールネットなどもあった。その中で友達とやっていた、それでサッカーの面白さを知っていったようなのでした。しかし、野球をやらせたいという親がいるのにサッカーに・・・。こういうのを「親の心子知らず」と言います(^_^;)

でもサッカーでも野球でも、スポーツを一生懸命やるという事は大歓迎です。しかしここでのまず第一の関門がありました。それは「どこのスポ少に入るか」この事がありました。小学校からもらったその用紙にズラリと書かれていたスポ少のチーム名がありましたが、その中でも候補は2つ。地元のスポ少とアビーカでした。どちらのチームに入れるのも一長一短がありそうで、どちらに入ってもおかしくないように見えました。まず4年生の時からアビーカに入っているけいすけのお父さんに電話で聞いてみる事から始めました。
「鈴木です。あのー、ゆうまがサッカーのスポ少に入りたいと言ってきたんです。アビーカってどんなもんなんですか?」
「(けいすけ父)ホー・・」
この「ホー」の言葉が今だに耳に残っていて(^_^;)どんな風にとったのかはなんとなく分かるのですが(^_^;)それからけいすけのお父さんからいろいろアビーカの事を聞いたりしました。

地元のスポ少の方もいろいろ聞き、本当に一週間ほど迷いました。(どうしたらいいんだ・・・)この迷いを断ち切ったのは、妻の一言でした。
「アビーカだごでっ!」
ハンコをバンと押すべく(^_^;)この一言で決まりました。あまりヤキモキしている私に妻も、男らしくねーとイライラしたのかもしれません(^_^;)

ただ私も実はその頃、その針の振り子はアビーカの方に傾いてはきていた時で、つまりは地元のいつもナアナアになっている、知っている方々が大勢いる中でやるのもかえって脂っこすぎる気もする(^_^;)。そして大きいところではやはり、仲のよかったけいすけ君ご家族様、そしてみつき君ご家族様もいた事、この事がその傾いていったその大きな理由でした。

アビーカに入るとなるとまず説明会に行かなくてはなりませんでした。その内容について、学校からもらったチラシに「アビーカ米沢FC事務局」とかと出ていた木内さんという方に電話してみる事にしました。言わずとしれた木内(きない)コーチだったのですが、私はその読み方が分からなくて「きうちさんですか」と3回も電話していました(^_^;)。木内コーチの人柄があって「いいえ、きないです」などと訂正するはずもなく、ずっときうちさんで返事してくれていました。入ってからその読み方間違いに気づいて訂正、謝りにいったのも今となってはいい思い出です(^_^;)

初めての練習に向け、道具や着るものを揃えなくてはなりませんでした。揃えなくてはならないものは、けいすけのお父さんが一から隅々までメールで教えてくれました。「すね当て」から「白いサッカーパンツ」「ボールを入れるネット」まで抜けなく教えてくれたり。上の息子の子育て、お付き合いに関して、けいすけのお父さんとお知り合いになれたという事は本当に1番のようにありがたく、そして感謝しなければならないと今でも思っていて。将棋教室、サッカーに関しての事など、本当に頭が下がる思いでいっぱいです。

準備するものを聞いた内容をメモし、ゼビオスポーツに行く。アビーカの赤いジャージはチームに入ってしばらくしないと出来てこないようで、まずはそれまでの間着るジャージから選んでいきました。ゼビオスポーツという所はサッカー用品に1番詳しい人はサッカーコーナーにいる人ではなく、実は当時、ゴルフコーナーにいた人だったりしました(^_^;)。合計1万数千円買ったそれに、親切にその男の人から割引券をもらったりもしました。

雪が消え、春のいい天気に心なごむ、そんな天気の中での初練習初日。期待をふくらませ、グランドに足を踏み入れる。ゆうまは青いジャージを着ていきました。5年生からの入部というのは当然ながらかなり遅い方で、他の子達の技術などもいかようなにか、そこも不安に思っていたりしました。

最初にグランドを歩いていくと、若い男の方が話かけてくれました。(誰なんだろうこの人は。サッカーの手伝いとかきたその人なんじゃなかろうか)などと第一感思いながらも(^_^;)この方こそが木内さんから「グランドに行けば後藤という者がおりますので、それに詳しくは聞いてください」と言っていた、その後藤コーチなのでした。失礼ながら最初、サッカーのコーチという人は40歳ぐらいの、ちょっとごつい人をイメージしていたので(けっして村上コーチの事を言っているのではありません(^_^;))、その今風で言う草食系の(^_^;)コーチの容姿である後藤コーチに、ちょっと意外な感じがしました。後藤コーチはその時、練習や試合の日程の進み方や、またこれから揃えなくてはならないものなどをそこで詳しく教えてくださいました。

ゆうまが最初、みんなの前でモゾモゾと(^_^;)挨拶をしてから、練習に参加していきました。けいすけ、みっくん以外はまったく知らない子達です。他にも6年生が今日は練習が一緒のようでした。けいすけ、みっくんも笑ってゆうまの相手をしてくれます。今思えばその5年生というのも10人ちょっととただでさえ少ないうえに、将棋教室にも来てくれていた免田君が引っ越してしまい、メンバーが1人でも増える事がみんなうれしかったのかもしれません。午前10時から始まった最初の練習は午後からもあったようですが、最初なのに学校で足を痛めていたゆうまは午前中の2時間の練習で引き上げさせてもらう事に。帰り際、6年生の子2人(1人は同じ名前のゆうま君だった事は今でも覚えています)から「ゆうま、まだ来いな!練習がんばっペな!」と言ってもらえたのはうれしかったし、息子も最初で不安だった気持ちも少しほどけていった、そんな感じにもなりました。

それからは毎週土、日の日中、火曜日の夜が息子の練習の送り迎えの日となりました。南原ゆえ、他の子達と違い自転車では遠く、車での送り迎えは必要でした。グランドに行って練習を見ていると、けいすけのお父さんが他の父兄さん方に私をご紹介してくださったりもしました。最初にお話させていただいたのが戸田さんで、穏やかな話口をされる方だなと思いながら、初めてながらいろいろお話させていただいたりしました。他にも高山さん、須藤さんなどともお話させていただけるようになり、特に須藤さんは後から知ったのですが私と同じ歳という事で、特に親近感を覚えたりもしました。

その日曜日、初めての大会の日でした。広幡農村グランドでの「ポカリスエット杯」でした。その「広幡農村グランド」という名前が聞いた事もない場所で、またけいすけのお父さんに場所をお聞きしたりしました。観戦にはパイプ椅子も必要と聞いていて、それも前日ゼビオスポーツから買って準備していきました。その中、久々に見る顔の方を発見。4年生の寒河江さんなのでした。寒河江さんと私は昔、同じMTB(マウンテンバイク)チームに入っていて、よくMTBのレースを転戦していたのでした。結婚式をあげたのもそう間も置かない時期に同じ上杉城史苑ででした。それが今日久々の再会だったのですが、寒河江さんも「こんな所で」会った事に(^_^;)驚いていたようでした。

ほとんど知らない子達と息子がやっていく事、しかし息子自身で言えばこれにはあまり心配はしていませんでした。息子と言いますのはとにかく小さい時から「人見知り」などというものはした事がなく、どんな人の輪の中でもいつもニコニコしていられる、そんな性格だったから。今となっても他の事はどうかは知りませんが(^_^;)そこが息子の1番いいところだといつも感じたりしています。

5年生の子達のプレイで目を見はったのは、ゆうやのドリブルと、戸田っちのフリーキックでしょうか。人のスペースを割って入る、前に進んでいくゆうやのドリブルには驚いたし、戸田っちのあれぐらい飛ぶ、子供とは思えないキックにも驚きました。戸田っちの蹴ったコーナーキックが試合でゴールに直接入ったというのを見た事がありましたが、Jリーグをはじめ、私は直接入ったコーナーキックというものをこの時初めて見ました。けいすけのお父さんからも「4年生ぐらいになると、だんだん子供達も技術の差が出てくる」とは聞いていましたが、これぐらいな技術はあるんだなと、あらためて思ったりしました。

南原グランドで村上コーチに話かけられました。
昔、村上さんのお宅の仕事をさせていただいた、その事を覚えてくださっていたようです。
その村上さんがこのスポ少におられる事は塗装屋さんの専務さんに以前から聞いていたのですが、村上コーチも私の事を覚えていてくださっていたようで、うれしく思いました。

入って2ヶ月の6月にアビーカ全体での「顔合わせ会」が居酒屋で行われました。私としましては他の父兄さん方、コーチの方々と仲良くなる機会と思い当然のごとく参加。そして私はお酒の席で人と仲良くなるというのは得意な方です(^_^;)戸田さん、高山さんとはいつものようにお話させていただいたり、6年生の本田さんとは同じ建築をやっている人だとこの時初めて知り、そしておもいっきり「パパーズ」にも入会を誘われたりしました(^_^;)それから2次会にも行ったと思いますが、そこからは記憶がありません(^_^;)

それからは毎週の練習、大会、それの送り迎え、応援がありました。そして私自身最初に思っていた不安ななく、「楽しい」と思うようにだんだんなっていきました。子供達を見て、応援していく事がこれほど面白いとは思いませんでしたし、そして、サッカーというもの自体の面白さにどっぷりとはまっていくようになりました。

天童への1泊での子供達の遠征。その遠征にも6年生の親御さんは幾人もいて、私は5年生で唯一、応援に行きました。子供達は天童での有名旅館に1泊、おいしい食べ物を食べ、大きな風呂に入りと、みんなで喜んでいる顔が目に浮かぶようですが、私は宿は子供達とは別に安いビジネスホテルをとりました。夜は1人でその日NDソフトスタジアムで試合が行われる事になっていた、モンテディオ山形の応援に行きました。相手はアルビレックス新潟でした。この時が初めてのモンテの応援だったですが、ビールを片手に(^_^;)ナイターサッカーを見るその楽しさなどにも目覚めて(^_^;)しまいました(モンテはその試合0−1で負け。その後J1から降格)。

天童遠征の2日目はビールを飲み過ぎ二日酔いでグランドに行くも(^_^;)そこには話かけくださった4年生のせいや君のお母さんがおられました。寒河江さんのお父さんも後からこられて。4年生のお父さん、お母さん方からも顔を知っていただけるようになって、そこもうれしく思いました。

ところで私は将棋教室をやっていると先ほど書きましたが、だから無理やり結びつけているわけでもないのですが見ていて、サッカーと将棋というものは本当に似すぎているぐらい似ているものだと感じずにはいられませんでした。サッカーと言いますのは通常応援するのも、テレビで見るのも「横から」見るのが当然なのですが、これを「上から」見ると、将棋とすごく酷似している。

将棋の最初の陣形を見てみましょう。将棋と言いますのは当然ながら「先に王将を取った方が勝ち」というゲーム。サッカーで言えばそれは「ゴール」を示します。ポジションで言えばそれが「ゴールキーパー」アビーカの同じ学年で言えばこれはけいすけになります。

ポジションに駒を例えれば「香車」はサイドバックの「戸田っち」、角と飛車はFWの「ゆうや、はる、たつ」にあたるでしょうか。王将を守る金、銀はデフェンダーの「なおと、ようへい」。「桂馬」という意表の動きをするのは「れん」。いつでも出るスタンバイOKな「持ち駒」は「ゆうま」になるでしょか(^_^;)。将棋とサッカーに共通しているところには「遊び駒がいては勝てない」という事。また「みんな仲良く、協力しないと勝てない」という事もあります。これは単純に、あたり前のようによく言われる感じの言葉ながら、相当深い意味を持つ絶対的なものです。




























そしてサッカーで言う「相手を寄せ、スペースを作った所を攻めこむ」なども、将棋の高等戦術としてよく使われます。例えばこんな局面。昨年6月に指されました名人戦第6局。羽生善治三冠と森内俊之名人の一局。

ここで先手の羽生三冠の指した手が▲2四歩。













△同歩とただで取られますが、その手の意味はつまり「2三の地点にスペースを作った」という事。△同歩の後の次の一手が▲7三歩成。歩を取り、先ほど作った2三の地点に王手と歩を打とうという意味の他にも、将来の先手の8八の王様が9七、8六、7五。7四と逃げていく道、つまりは「王様が逃げていくスペースを作った」というのも大きな意味としてあります。このように羽生三冠のような人になればなるほど、このスペースを作るという箇所を多く見出したりする。特に2三、2七、8三、8七、このマス目は「羽生ゾーン」とも呼ばれ、この地点に駒を進ませる事に羽生先生は独特な感覚を持っています。




スペースという難しい話を別にしても、単純に端の「香車」がずっと前に行った様はサッカーで言う、サイドバッグがサイドライン際をドリブルで上がっていくその様と似ていると思いますし、角がビュッと斜めに行く様などは、ゴール前にクロスを上げる、その様のように感じられたりしています。このような感じが「サッカーと将棋とすごく酷似している」と思うゆえんなのでした。





とこんな感じにアビーカのサッカーにはまっていったその9月の頃、後藤コーチに相談をしてみる事がありました。それは「アビーカの子供達のサッカーをやっている様子の写真をあげるホームページを作ったらどうか」という事でした。私自身、将棋のホームページを長い間やっていて、そうしたものを更新していく事の効用「やっている本人達、親御さんのやる気、張り合いが出る」などは体験していたものでお話させていただいたのでした。と言ってもカメラは携帯でしか撮らなかったまるっきりの素人。しかしもうじき望遠カメラを買う予定もしており、まあもしやってほしいとご了解をいただいたとしてもなんとななるだろうと、まずはご相談をさせていただいたのでした。

その買おうと品定めしていたカメラの特徴を言いますと、まずはサッカーのやっている様子を撮ろうとした場合必衰な項目の「相当な望遠である事」「望遠で撮っても手ブレ補正が強力なもの」はかかせません。いろいろ調べ、市内金池の「かめらのキタムラ」で購入。数万円するそれもその時キタムラでは「分割10回まで、その手数料はキタムラが負担します」という事をやっており、そこで買う事にしました。

カメラを購入。しかし肝心のアビーカのホームページに写真をあげていっても大丈夫なのかという事に関しまして、アビーカのコーチの方々での話し合いがもたれました。確かにこのホームページというものはある意味、根本で相当に難しい部分があります。「子供達、父兄さんかたのやる気、張り合いになれば」という一心で掲載した写真も、別な多少曲がった見方をすれば「うちの子供の写真を勝手に世の中に出しやがって」という父兄さん方もおられてもおかしくはない。そのあたりの妥協と言いますか、公開のメリット、デメリットはスポ少として考えても当然な事と思う。
「ダメならダメでもまったく気にしませんのでかまわず言ってください」とお返事をさせていただき、結論の返事待ちを数週間。

秋には芋煮会がありました。河原で、子供達、父兄さん方、コーチの方々で食べる芋煮。天気もよく、大変楽しい行事となりました。2次会は父兄さん方、コーチの方々と、アビーカで昔からお世話いただいております吉田さんの家で。ここからはアルコールも飲んで(^_^;)。吉田さん宅のすぐそこに麻雀セットがあるのを発見し村上コーチ、ふみとコーチ、本田さん、藤島さん、吉田さん、塚田さん、私、他の数人で麻雀大会をする事に(^_^;)。永遠、夜11時頃まで行われ、不良親父達の(^_^;)有意義な時間を過ごす事ができました(^_^;)

例の写真館ホームページの件で、後藤コーチからお返事をいただきました。
「ぜひお願いいたします」
その言葉をいただき、本格的に写真館をやっていく事になりました。言ったからには頑張ってやっていかなくてはなりません。しかし実際カメラで撮っていくと・・・なかなかその動きのあるものの写真を当初、うまく撮る事はできませんでした。これほどとはまったく予想だにつかず。まず、子供の、例えば足元からボールを放つ瞬間などというというベストショットを狙う場合、誰でも考える事と思いますが1秒間に何枚も撮れる「連写」これで撮っていました。1シーンで数枚撮ったとしても、その中の無駄なショットは捨てればいい、1枚撮れればいいんだとするそれも、なかなかその瞬間をうまくとらえられない。いくらやってもうまくいかない。なおさら体育館の中でやる、明かりの足らない「フットサル」で写真として使えるものは全体の5%ほどしかありませんでした。

しかしその事を仕事の合間、お付き合いのあった仕事仲間の人にぼやいてみると、子育て、スポ少の大先輩にあたるその方から
「鈴木さん、スポーツの写真ってさ、今どき連写で撮る人なんていねよ。今はビデオで撮って、それから写真にくり抜くのが普通だぜ」
と教えていただきました。
それを聞いて(そんなんでうまくいくのかねー)と疑っていたものの、そのカメラに付属していたそうしたいろいろできるCDソフトをパソコンにインストール、ビデオをくり抜く、その加工をしていくと「子供の足元からボールを放つ瞬間を撮る」これが安易にできた!のでした。これには感動し、それからはこの撮り方を常にやるようにしました。つまりは私があげてきた「写真」というものの多くは「動画から静止画をくりぬいた」ものなのでした。

でもうまく撮れるそれもハイビジョンの動画ゆえ容量がものすごく、自分のパソコンの2/3をアビーカで占めるようになったのには参った(^_^;)。そして1回の更新に3時間かかるのも毎回かなり効きました(^_^;)。でもそれも全て子供達、父兄さん方、関係者の方々の張り合いのためと思い、頑張るだけでした。

年が明け、3月の「6年生を贈る会」では恒例のように、5年生がダンドリをしなくてはなりません。いろいろダンドリをやった中、寸前になり戸田さんから「鈴木さん、ビンゴ大会仕切ってけねが」の言葉があり、司会進行を頑張る。どうにか終了。しかし6年生を贈る会は申し訳なかったけれど早退し、米沢市から頼まれた、米沢市児童会館での将棋教室に行ったりしました。




ゆうま、6年生進学。いよいよアビーカとしてもメインの学年となります。親としてもメインで応援しなくてはなりません。

☆4月29日 南陽市「花公園」で練習試合
桜満開で、その中サッカーをやる情景がすばらしい。思わずカメラをかまえる。ほんとすばらしい。



























☆5月20日 全日本少年サッカー大会米沢地区予選
広幡農村広場グランドにて開催。準優勝し、山形県大会への米沢地区代表としての出場権を獲得。


















☆6月9日、10日 全日本少年サッカー大会の山形県大会
上の米沢地区予選を抜け、いよいよその全日本少年サッカー大会の山形県大会。南原直江石堤グラウンドにて開催。・・・予選リーグ2勝1敗の成績をあげ予選通過!6月16日開催の決勝トーナメントに!これはどういう事かと言いますと、なんとなんと、あれだけある県内スポ少の、県内ベスト16に進出という事になるのでした!

しかし最後の勝てばベスト16という、カメレオンFCとの試合では大苦戦。後半まで1−2でリードを許す。最後遅い時間に同点に追いつく。しかし、同点では決勝トーナメントには進めない。勝つしか道はないのです。しかしもうロスタイム。隣の須藤さんと「もうだめだ、笛なってしまう」と時計を見ながら半分諦める。でも審判は笛を吹かない。その中・・・はるがおもいっきり蹴ったシュート、これがなんとなんと、ゴールネットを揺らす!大歓声!!やった!逆転だ!間もなく試合終了のホイッスル!やった!勝った!須藤さん、戸田さん、高山さん、ふみとコーチ、私で大人同士抱き合う。涙が流れそうになる。やった、本当に勝ったんだ!!!

その後、準々決勝では同じ米沢の、宿敵興譲SSSにPK戦の末、負け(興譲SSSはその後県大会で決勝戦まで勝ち進む)。しかし後半終了間際の、ゆうやのヘッドのシュートはドンピシャリですばらしく、通常はそれで試合終了だった。負けたけどすばらしかった。子供達、よくやってくれた。私自身、男同士抱き合ったのは、30年ぶりぐらいでした(^_^;)






☆アビーカ懇親会 6月15日
70数人子供達がいるアビーカ全体、キッズや小学校低学年、高学年の子達のご父兄様方など一同に集うこの懇親会。今年は昨年と違い最後の年という事で、6年生のお母さん方もたくさん参加されていました。2次会は町中のうどん屋さんにて。ここでもお母さん方他たくさんの方々が来てくださって、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。

☆6月23日 モンテディオカップ わんぱくサッカー山形県大会米沢地区予選会
南原直江石堤グラウンドにて開催。 アビーカ米沢FC Aチームが優勝!Bチームが4位!Aチームは県大会への出場権を獲得しました。決勝戦はPK戦までもつれ込む激戦でしたが最後、なおとがキッチリシュートを決めて勝利。


















☆9月2日 鈴川フレンドリーカップ2012
山形市立鈴川小学校にて開催。この大会は準優勝!サッカーの内容もそうながら、鈴川SSSとアビーカの昔からのお付き合い、結びつきが感じられ、そのあたりも非常によく感じました。


















☆9月15日16日 NECパーソナルコンピュータ杯少年サッカー大会
広幡農村グランドにて開催。 予選を4−0、4−0、9−0で勝利。本戦もレッドライオンズを2−1で破るも、準決勝で宿敵、フェニックスに0−1で敗戦。残念。

















☆10月8日 アビーカ芋煮会 
河原での芋煮会。毎年恒例の芋煮会は6年生が毎年担当でダンドリするのだけれど、私はあいにくその日、仕事が入っており、山形市の現場に行ってからお昼過ぎに参加。ダンドリをお手伝いできなくて申し訳なく思ったり。快晴の天気の下での絶好の芋煮会。大変気持ちがよい。

2次会は福田町のラーメン屋の2階で行われました。コーチの方々も大勢こられて大変盛り上がりました。


















☆10月13日14日 NCVカップ米沢少年サッカー大会 
南原直江石堤グラウンドにて開催。予選リーグ1回戦。鈴川SSSと対戦、2−0で勝利。予選リーグ2回戦。興譲小SSSと対戦、0−0で引き分け。ブロック2位勝敗戦。中部と対戦。2−0で勝利。2位上位トーナメント。アルカディアと対戦、3−0で勝利。2位上位トーナメント決勝戦、蓬莱FCと対戦。1−1後、PK戦にて3PK4で敗戦。といずれもいい試合ばかりしたアビーカ。チームとして力が本当についてきていると実感。








☆11月4日、10日、11日 第7回米沢信用金庫杯少年サッカー山形大会
米沢市営人工芝サッカーフィールドにて開催。米沢市営人工芝サッカーフィールドは今日が竣工日!卒業前にここでサッカーができる!ギリギリ間に合ったというのが正直な気持ち。待ちに待った米沢での人工芝。その景色、緑色が気持ちがよい。これからたくさん、ここを使って試合をしていくんだろうな。大会結果は参加チーム多数ゆえのやや複雑なルールからか、結果10位ぐらいなものになりました。

この試合で最後に撮った写真が我ながらすばらしく、これは最後の6年生を贈る会の時、6年生の父兄さん方みんなに印刷して贈らせていただいたほどのものでした。いかがでしょうか。みんな、いい表情していると思いませんか(^_^)。























☆12月1日 アビーカ5,6年生関係者での忘年会 
私が幹事を立候補して開催。去年は忘年会がなかったものの、もうじき卒業という事でぜひやりましょうと提案しての開催。他に幹事は5年生代表で寒河江さんがしてくれました。

居酒屋でのその忘年会で、私がこの1年ずっと撮りためていたビデオを、会社の普段図面書きにしている大きなパソコンを会場に持ち込んで、皆さんに見ていただく。その鑑賞もそれなりにいいものにはなったようでした。2次会はとあるスナックにて。そこでカラオケをバンバン歌う。私も須藤さんらと一緒にのどから血が出るほど(^_^;)歌う。幹事なのでみなさんを見届け、午前0時近くまで寒河江さんと一緒に残り、次の日は撃沈(^_^;)

☆2月6日8日 雪灯篭作り
アビーカの5,6年生の子達、父兄さん方みんなで雪灯篭作りを上杉神社で行いました。雪降りな天気でもみんなで頑張って作りました。出来た雪灯篭2つにはそれぞれ「アビーカ米沢FC」の札が掲げられました。

















☆2月11日 アビーカカップ 
川西町町民総合体育館にて開催、息子のアビーカでの最後の大会となります。本当に数多くあった大会も、これで最後なのかと寂しく思ったり。結果は準優勝。フットサルというものは6人制ゆえ、ゆうまも試合に出れるチャンスも実際はいつもなかなか少ないのだけれど、3試合目ぐらいで相手チームとの点差が出てきた時に村上コーチが相当長い時間、前半〜後半にかけて出させてくれる。それも結構前のポジションのよう。上の観客席から応援。ぜひ最後の試合ぐらいは1点、シュートを入れてもらいたいと思う。入れたら今日はステーキ宮に連れていってやろうとも(^^ゞ

前半終了。ゆうまの得点は入らなかった。後半スタート。シュートはなかなか入らない。ゆうまのサッカーというのは見ていていつも思うのだけれど、今回のシュートを打つFWなどのポジションではない事が常の息子のポジションで、ボールを持つと、すぐに「パス」を出してしまう。なんで自分でドリブルして持っていかないんだ、ゆうやぐらいに人を割って、ボールを運んでいこうとしないのだと思う。帰りの車の中とかよくその辺を話したりする事もあったのだけれど、これはなんというかその男の性格というか、はたまた他の子達のようにもっと小さい時からサッカーを習ってこなかった、ある意味、いい感じではないクセみたいなものがあるのではないか。そこが最後までなかなか身につかなかった事は残念な部分に思います。

しかし今日はFW。パスを出す間も少なく、どんどんシュートを打っているゆうま。頑張れ!今日が最後の大会なんだぞ、1点入れてくれよと願う。隣で一緒に見ていた戸田さん、須藤さんもその気持ちを分かってくれてか「ゆうま!打て!」「あと5分!」などと気にかけて一緒に応援してくれていました。打つ、打つ、しかしシュートが入らない。村上コーチも最後まで変えないで使ってくれている。あと3分、2分・・・声にあげて電光掲示板の数字を気にかける。あと1分・・30秒・・・試合終了のホイッスル・・・。チームは勝ったけれど、ゆうまはシュートを決められませんでした。でもほんと頑張った。今までの試合の中でも1番の頑張りようだったようにも見えました。

最後の整列。ゆうまもチームの中で特に仲のよかったひかる、れん、まさき、ようへいなどと並び、そして結構長い時間試合に出れて、そしていつもにないシュートをどんどん打てた事に満足している顔にも見てとれました。最後の大会として、満足できるものになったと思いました。

☆2月23日 ボーリング大会+お食事会 
間もなく卒業ゆえ、今日は6年生、コーチの方々とのボーリング大会。米沢市内のボーリング場に一同に集まる。ようへいのお父さんはボーリングのチームに入り、週1回は最低ボーリングをやっているボーリングの達人ゆえ、今回も多くをダンドリしていただいたりして。本当にありがとうございます。ボーリングは私は須藤さんと同じレーン。ゆうまはようへいと同じレーンでした。子供達はガーターなしのレーン。大人もできたらそうしてもらえたらと思っていたけど(^_^;)最後まで自分もガーターを出さなくて、とりあえずよかった(^_^;)

ボーリングが終わり、それからは市内の「りんご苑」で焼肉食べ放題、大人は飲み放題(^_^;)。私の席の村上コーチ、戸田さん、佐藤さん、塚田さん、須藤さんらでどんどん注文していく。そこでボーリングの結果発表。子供達の部で優勝はようへい、2位になんとゆうまが入った。このチームのすごいメンバーでサッカーではなかなか上にはいけなかったけれど、最後ボーリングの分野で(^_^;)その子達よりよい成績をあげる事ができ、息子も本当にうれしそうな顔をしていました。家でもお母さんにスコアの紙を見せ、意気揚々と結果を説明していたり。私もうれしかった。

間もなくまさきのご家族様が米沢を離れ、遠方に引っ越してしまうという事で、私は贈り物を準備していました。それはA4版と大きく伸ばしたした写真を2枚それを、綺麗な化粧の紙の額みたいなものに入れたものでした。ゆうまから「お父さん、この紙の額にみんなで寄せ書きしたらいいんじゃない?まさきも喜ぶと思うよ」というめずらしくもいいアイデアを出し(^_^;)そこでペンも準備して持っていきました。

その焼肉の会場で子供達全員の寄せ書きしてもらう。そして全員書いたところで、それをゆうまから、まさきに手渡す事に。まさきも嬉しそうだ。その時6年生の子達全員から「ゆうま!ゆうま!・・・」の声があがる。その贈り物を贈るという息子の照れくささを分かってか、みんなが盛り上げてくれたようだ。それを聞いて思ったのが・・・よその土地からこのスポ少に入り、知っている人が少なかったその不安な気持ちだったあの時、しかし今はみんなこれだけ仲良くしてくれるようになった、それが当時の気持ちを思えば信じられないぐらいなものでした。みんなに仲良くしてくれて本当にありがとうと言いたいと思います。

ゆうまのまさきに向けての言葉
「今までサッカー、一緒にやってくれてありがとう。楽しかったです。あちらでもぜひ頑張ってください」
ワーっと拍手があがる。よく言ったと思いました。

☆3月10日 六年生を贈る会 
今日はアビーカの皆さんが6年生を贈る会を開いてくださる。昨年は自分達5年生がそのダンドリをしていったのだけれど、今年はどんな事をしていただけるのだろうと、心高ぶる。しかし私は数日前から風邪で体調が悪く、今日はマスクをし、はいつくばってでも体を会場に運ぶ。なんていったって今日が一同にみんなが集まる最後の日なのだから。

最初の方でサプライズがありました。2年間アビーカ写真館ホームページをやってきたという事で、私をアビーカで特別表彰してくださると言います。こんな事があるとも考えてもおらず、5年生の寒河江さんから名前を呼ばれた時はかなり驚きました。5年生のせいや君のお母さんから記念品を手渡される。こんな立派な事をしていただくためにやってきた写真館ではないのだけれど、このようなスポ少からのお気持ちをいただけた事に、本当にうれしかったです。

ビンゴ大会などの後、スライドに写しての、6年生のサッカーをやっているところの上映会が行われました。数日前に後藤コーチから「鈴木さん、写真をいただけないでしょうか」と連絡をいただき、送った数百枚の写真を、後藤コーチがきれいにまとめてくださった、そのビデオでした。こうしたスライドの流れで見ると、5年生→6年生となっていくその顔つきもまた、想像している以上に大人になっていた、子供達の顔がありました。

六年生を贈る会が終わり、二次会を父兄さん方、コーチの方々で近くの店で行うと言います。しかし体調が体調だけに当初、これは欠席させていただくつもりでいました。しかし六年生を贈る会が終わり外に出た時、塚田さんから「鈴木さん、最後なんだから行きましょう」の一言が体に染みて(^^ゞ足を引きずりながら二次会の会場へ。そこで体調を気使い最初、コーラなどのソフトドリンクなどを飲んでいたのですが、後藤コーチから「さあ、鈴木さん、日本酒注ぎましたから」とその小ぶりなコップを置かれてみんなの注目を集めてからはもう飲まないでいるような雰囲気ではなくなり(^^ゞ「かんぱ〜い」と大声をあげて爆笑をかってから(^^ゞどうにでもなれとグイっとその日本酒を一気飲み(^^ゞ続いて生ビールを注文。メンバーは後藤コーチ、村上コーチ、木内コーチ、ふみとコーチ、ひろきコーチ、戸田さん、高山さん、塚田さん、佐藤さん、寒河江さん、私、他にももっといたでしょうか。荒治療が効いてか(^^ゞ後半は体調もよくなってきた感じもあり、みなさんと最後まで楽しい時間を過ごさせていただきました。

☆3月27日 最後の練習 
今日は夜7時から二中の体育館での練習。今日がアビーカの練習の本当に最後の日。こうして夜、息子をアビーカに送っていくのも今日が最後かと行きの車の中、シンミリする。駐車場に車を停め、ゆうまを降ろし、一旦家に帰る。この夜の練習も私は本当によく見にいきました。親御さんで見ている人は私1人などというのも本当に多かった。アビーカの父兄さん方の中でも1番見ていたろう。それも半年ほど前から息子から「お父さん、見に来ないで。車の中で待ってて」と言われるようになった。他の子達が大勢いる中でそうした事にも気にかける歳にもなってきたんだなと思い、残念でも最近は見にはいかず、そうする事が多くなっていった。

終了30分ほど前になり、家を出て、体育館の中へ入ってみる。見にこないでと言われても今日が最後なんだ、今日ぐらいは息子も許せと思う。体育館に入っていくといつものように、特にユースの子達が「こんばんは」と挨拶をしてくれる。アビーカコーチの方々のシツケのありようが、これを見てもいつも感じられてしまう。今日はよく見てみると、見た事がない子も数人いる。あの子達は今度、新しくアビーカのユースに入るという6年生の子らしい。私はいつもの定位置、体育館の南の真ん中あたりに立ち、練習をながめる。

2年も通って、こうして練習をながめるのが大好きだった。土日の日中のグランドでの練習、それを見るのも特に好きだった。子供達の笑った顔、はずんだ声、ボールを蹴る音、走る足音、これらのものは全て私の心を和ませるものだった。今日も息子も頑張る。いつものように前になかなか運んでいけないながら、なるべくみんなに迷惑をかけないようにという意思を、自分の息子なのですごく感じてしまう・・。

終了の9時過ぎの時間になった。アビーカは9時調度に終わるという事は、やはり最後までなかった。ここもアビーカらしいなと思う。ストレッチからコーチの話、日程の説明などをするいつもの事。最後みんなで挨拶をし、そこで本当に終了となった。

息子が私に近よってくる。息子はきっと(なんでお父さん来るんだよ。車の中で待っててほしいよ)と思っているはず。息子が私に何かを手渡してくる。
「これ、後藤コーチから。6年生を贈る会で流したビデオだって」
1枚のDVDだった。それを受け取る。

もう常には逢えないであろう後藤コーチに最後、挨拶すべきと思っていたところ、後藤コーチの方から私の方に近寄ってくれました。
「鈴木さん。どうもです。鈴木さんの家にいつお邪魔しようかと思ってたんですよ」
6年生を贈る会の時に酔って
「後藤さん、村上さん。家に来て嫁さんに『ぜひ娘さんをアビーカに』って口説いてください。俺言ってもダメなので(^_^;)」
などという言葉を覚えてくださっていたようだ。後藤コーチの言葉に苦笑してそれに対しの話などをする。

それから言いたかった言葉
「後藤さん、2年間本当に楽しかったっすよ。本当にいい思い、させてもらいました」
言って思わず涙が溢れそうになった。初めて青いジャージを来て息子を連れていった時に最初に話してくれた草食系の(^_^;)コーチ。5年生の時、息子に基礎的なボールの蹴り方から教えてくださった、パスを受ける(出す)ポジションの動きなどを教えてくださった。写真館のホームページを作ろうと相談させていただいた、パソコンのメールでもよくやりとりさせていただいた、そんな2年間が走馬灯のように頭をよぎる・・・。

「アビーカ離れるのはやっぱ寂しいっす。でも仕方ないです。でも写真も、新しくホームページ変わりにやってくれる人出るまで年に数回ですけど行きますから」
「ありがとうございます。年に1回でもいいのでこれからもよろしくお願いします。ぜひこれからも子供さん達連れて遊びに来てくださいね。パパーズとか、写真撮りでも、お酒飲みでもぜひ来てください。」
「俺、酒飲みは大好きなんでいつでも呼んでください」
「はははは」
そんなたわいもない話をさせていただき、体育館を離れる。外では子供達が駐車場に向かって、はたまたユースの子達は自転車で帰るところだった。駐車場に着くとたくさんの親御さんの迎えの車がありました。知っている車も当然たくさんあって1番、目についた所にあったのが戸田さんのワンボックスカーだった。
ご挨拶させていただこうかと思ったけれど、あまりに未練がましくもとられるかと思い誰にも声をかけさせていただかず、息子を乗せ、エイっと車を出した。

車を走らせる。車のハンドルをにぎりながら、もうあのメンバーで会う事もないのだ、話す事もないのだ、サッカーをする事もないのだ、あらためてそう思うと、押えきれない感情が湧き上がり、涙が頬をつたった・・・。息子もびっくりしたろう・・。

家に到着。嫁さん達はいつものように娘と一緒に寝室に入っており、ばあちゃんが起きて待っていてくれた。私はいつものように着替え、自分の書斎に入り、椅子に座り、缶ビールのふたをあけた。今日は後藤コーチからいただいたDVDを見てみる事にした。

DVDの音楽が流れ、写真が写しだされる。そのものを見て・・・・もう押えきれなくなった。誰も部屋にいないのもあって、泣いた。ボロボロ泣いた。この歳になり、これだけの泣き方をするとは思わなかった・・・。自分が野球を頑張ってやった中学時代。その3年間をやって終わりの日、野球部のみんなで寂しくてワンワン泣いた、それ以来の感情だったろう。息子にはこの文章を見せられないと思う。見せれば「お父さん、しっかりしなよ」などと、いつも笑っているような性格の息子から幻滅されるのがオチだろうから・・・。

☆エピローグ
「お父さん、これ将来までずっとお父さんが保管しておいてよ。それが1番いいと思うんだ」
6年生を贈る会のあった次の日、息子が私に手渡してきた。それはアビーカからその会の最後でいただいた、一着の赤いジャージだった。手渡された後に村上コーチの話がありました。
「これは・・・大会で成績をあげていただいたもので・・・誰でももらえるものでなくて・・・いつかまた、この子達のメンバーで、このジャージ着てサッカーをできれば、そんな事を思っています・・・。」
息子もまたこの村上コーチの言葉「いつかまた・・・」の言葉が頭に残ったようで、これはお父さんが保管しておくべきと思ったようだった。

今この文章を書いている時点で、今年のワールドカップのアジア地区予選では本田圭佑、長友佑都の欠場が響いてか、ヨルダンに負けてしまい、予選通過は次戦に持ち越しになりました。日本は次で予選通過できるんだろうか。嫁さんから怒られながら入った「スカパーJリーグセレクション」を見て、毎週のモンテディオ山形の一戦一戦に心踊らせながら見るほどにもなった。今の段階でモンテは4連勝、次戦強豪神戸と対戦する。今年こそはモンテはJ1に上りつめる事ができるんだろうか。これほどサッカーに夢中になるとは息子が4年生の時まで思いもしませんでした。

野球と比べればサッカーなんて単純なスポーツだと思っていた。野球のようにバットやグローブ、金物つきのスパイク、ヘルメットなどの道具も必要ない。あるのはジャージとスパイクとボールだけ。しかしこの仲間みんなでボールをつなげ、ゴールをめざす、この奥ゆかしくも感じられるこのスポーツ、これほど素晴らいものとは息子がアビーカに入るまでは思わなかった。そしてこれほど人の輪のできるものとは思わなかった・・・。

ゆうまは中学生になり、これからどういう風な事をやっていくのは、実はまだ分かっていません。私として心残りだったのは、当然そうなっていくはずと思っていた、けいすけ、みっくん、ゆうま、この3人でまた中学でサッカーをやっていく事、これがかなわなかった事でしょうか。ただそれは人それぞれの進む道があり、本人達以外がどうこう言えるものではない。それぞれの道ををまた頑張っていってほしい。そしてそれらを親としてみんなでまた応援していくだけです。その分野分野でのそれぞれの子供達の成長、これを楽しみにまた生活していこうと思います。

アビーカの関係者の方々、コーチの方々、ご父兄様、子供達、2年間本当にありがとうございました。またいつか、みんなでお会いできます事を楽しみにしております。


                                                                       平成25年3月31日 
                                                                          平成24年度卒業生 鈴木優駒の父



*この文章では登場されておられます方々にはご了解をいただかなくて書かせていただいた部分も多々あります。内容で支障ある箇所ありましたらご連絡ください。どうもすいません(鈴木)
鈴木アドレス